「噂」について考えたら、やっぱり自分の経験が一番大事だと気付いた
こんばんは、フリー作家のもりなかです。
最近色々な噂話を聞くことがあります。良からぬ噂や絶対違うだろと突っ込みたくなる噂まで、多岐に渡ります。そこで、噂についてちょっと考えてみました。
噂話が真実と変わる理由
人から聞いたことは一字一句全部は覚えてはいません。印象に残った単語がバラバラに頭に残り、それが時間とともに印象が薄いものから順に忘れていく→思い出す→頭に残った単語だけでは文章が出来ない為、足りない言葉を自分で勝手に作って文章完成。それを別の人に言う。←この繰り返し。
結果どんどん真実と異なってくる。
人数が多ければ多いほど真実から遠のく
前職の会社は大人数のところだったため、それはそれは訳の分からない噂話が飛んで来ることも多々ありました。
一番面倒臭いのが、確かめようとしても聞く人聞く人みんな違う事言っている時。もうどうにもなりません。
そんな時は最終的に自分でいいように解釈して済ませましたww
経験談、体験談に勝る話は無い
こうやって考えると、結局は人から聞いた話は本当にあっているという保証がない。
信頼できる人から聞いた事であっても、実際その人も聞いただけの話だった場合、失礼だが、本当かどうかの保証なんて無い。
唯一本当だと思えることは、話す人が実際に体験した内容の話なのではないかと思う。
ネット情報のややこしさに時々疲れることも
最近よくググるけど、よく考えるとインターネットだと誰が書いた情報かわからない。嘘の情報も書けるし、わざといいように書く事もできる。全く逆の事であっても、あたかも正解のように書いてあったり....こうなるとますます疑心暗鬼になってくるし、そんなことばかり考えていると無駄に疲れてくる。
それでも情報を入れ続ける
だからといって情報をシャットアウトしてしまっては自分の成長が止まってしまうし、変化することに置いて行かれるし、、どうしたらいいのか.....
考えた結論は、それでも沢山の情報を浴び続ける。沢山の情報を取り込み、常に自分で考えて取捨選択する。
この作業が実は大変なのだが、今のご時世避けては通れないのではないのかなと思う。
自分で考えて選んだことが間違っていた情報であったら......そん時はそん時でしょうがない。気付いてから修正すればいいのではないかと思う。
そして最後に、一番信用できるのは「自分の経験」であるため、自分で確かめるのが一見遠回りであっても一番近道なのかもしれない。
やっぱり我が道を進もうと思います。